日本人作曲家による日本語の合唱。一度はやりたかったこのテーマに肉薄するゲストは、渋谷系を世界に轟かせ、プロデューサー、DJとして、独自のワールドを表現し続けている小西康陽さん。音楽に関して多くの言説のある彼も、「合唱曲」を語ることは非常に珍しいのではないかという、必見の会です。
日本人は合唱に最も親しんでいる国民とも言えます。クラスごとの合唱祭を通年の学校行事として行っていたり、部活動の合唱も盛んで、全国レベルの合唱コンクールに力を入れている学校も大変多いのです。その反面、クラシックの音楽ジャンルとしては、歌うネタとしてだけ考えられて、それを作品として”聴く”機会は実はあまりない、という鬼っ子的存在でもあったりもする。
参考資料↓
考えてみれば、人の声とハーモニーと歌詞の世界という、ポップスの三大柱がすべてそろっているのが合唱曲。「知らない曲がすでに世界には存在しないのでは」というほどのレコード番長としても知られる、小西康陽さんが、その魅力をどう分析、紹介していただけるのか? また、ポップス/クラブミュージック耳から見た、合唱の今後の可能性とは?!
タイトルの『TOKYOの合唱』とは、自身の手になるエッセイ集と楽曲、小津安二郎の映画のそれですが、「合唱」という音楽表現の魅力とともに、その語感やスタイルが持つ文化的な意味も探っていきます。
ピチカートファイヴを主催し、このコンセプトと楽曲が世界のポップスシーンに多大な影響を与え、最近では八代亜紀のジャズアルバムをプロデュースするなど、 音楽界にはっきりと小西ワールドを造り上げている才人による、「日本人作曲家の日本語による合唱」の魅力のすべて。
教養としてのクラシックではなく、クラブカルチャーを経た耳を持つ人にこそ体験してほしい、この爆音音浴。生演奏がデフォルトだけれど、録音とオーディオという現代のテクノが入ってこその、音と脳と身体とのセッションを堪能して下さい。
ゲスト
小西康陽
1959年、北海道札幌生まれ。1985年にピチカート・ファイヴでデビュー。豊富な知識と独特の美学から作り出される作品群は世界各国で高い評価を集め、1990年代のムーブメント“渋谷系”を代表する1人となった。2001年3月31日のピチカート・ファイヴ解散後は、作詞・作曲家、アレンジャー、プロデューサー、DJとして多方面で活躍。2011年5月には「PIZZICATO ONE」名義による初のソロプロジェクトとして、アルバム「11のとても悲しい歌」を発表。2012年10月発売の八代亜紀「夜のアルバム」ではアルバムプロデュースおよびアレンジを担当した。著書に片岡義男と共著の「僕らのヒットパレード」ほか。
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