8月15日、終戦記念日に行う爆クラ。自衛隊の活動を飛躍的に拡大させる安保法制が先だっての参院で可決し、世界に目を向ければテロの脅威があり、今年の終戦記念日は、いつもの年とは違った重さとリアルがあります。
そして、人間の心を鷲づかみにし、高揚させるのが音楽の特質ならば、戦争とクラシック音楽もまた、深い関連があります。そして、その逆、平和への祈り、ピースフルという状態をつくり出し、人々に「平和」の抽象性をダイレクトに体感させるのもまた音楽。
ということで、今回のゲストは、映画監督であり、カントクの呼び名で親しまれている山本晋也さんをお招きします。カントクは1939年東京生まれ。ということは6歳で東京大空襲を経験している戦争体験者。深夜のお色気番組『トゥナイト』の性風俗レポートでお茶の間の人気者になり、その一方で社会的な問題に対する発言も多く、まさに硬軟取り混ぜの活動をなさっている方。
そう、突き詰めると戦争は国家間の暴力。そして、暴力と性のあり方は、人間の本質 抵触する重大事項。もちろん、クラシック音楽もそこのところと無関係ではありません。
第二次世界大戦においては、何せ、クラシックの本場ドイツでヒトラー政権が樹立、ワグナーがそのテーマソングのごとくに扱われいた事実は、戦後も多くの問題を残していますし、多くの音楽家たちが、実際大変な目にもあった。ヒトラー政権下、「退廃音楽」という名付けのもと、多くのユダヤ人作曲家作品、現代音楽、ジャズを取り入れた楽曲が上演できず、作家が迫害された、という事実もあったのです。
戦後は一変して、平和、というテーマが多くの芸術家たちのモチーフとなり、多くの作品が生まれています。特に原子力爆弾の悲劇をモチーフとした作品は、ヒロシマの名の下に多く作られ(佐村河内守の「交響曲第1番<ヒロシマ>」参照のこと)、チェロのマエストロ、カザルスは積極的に平和活動にコミットしました。そして、戦後の冷戦構造の中では、ソ連が対西側プロパガンダとして、反戦テーマの楽曲がよく作られたりもしたのです。
そして、戦後の「平和」は我が国では、高度成長期とバブルという豊かな時代のバックボーンにもなり、多くの日本人作曲家がその才能を開花させます。その時代にメディアの中心にいて、活動をしていた山本カントクの世相証言は、一聴の価値あり!!(そして、このあたりに「エロス」が入ってくると思われます)
戦争、平和、そしてエロスに関するクラシックをかけつつも、戦後の生き証人であるカントクのトークが今夜の主役。ワタクシ湯山は某テレビ番組でカントクとご一緒して、一発でそのセンスと人間性に圧倒されてしまいました。是非、生カントクの言葉の迫力に出逢って下さい。
みなさまのご来場をお待ちしています。
ゲスト
山本晋也(やまもとしんや)
1939年東京生まれ。早稲田高等学校から日大藝術学部に進学。1965年『狂い咲き』で監督デビュー。『未亡人下宿』で一躍人気者に。その後、深夜番組『トゥナイト』のレポーターとしてテレビに出演、「ほとんどビョーキ」というフレーズは流行語になった。ワイドショー『テレビスクランブル』では硬派なジャーナリストとして活躍。異色の履歴から芸能界に幅広い交友関係を持つ。
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